北安曇郡
北安曇郡(きたあづみぐん)は、長野県の郡。略称は北安(ほくあん)。
以下の1町3村を含む。
目次
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町3村のほか、以下の区域にあたる。
大町市を挟んで北部の小谷村、白馬村と南部の池田町、松川村に分断されている。人口動態では南部の池田町、松川村は微増、北部の白馬村、小谷村は減少の傾向にある。
歴史
郡発足までの沿革
知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
藩領 | 松本藩 | 94村 | ●宮本村、●曽根原村、●閏田村、●木船村、●丹生子村、●館之内村、常光寺村、●松崎村、●大町村、●高根新田村、●野口村、●借馬村、●木崎村、●森村、●稲尾村、●海之口村、中綱村、青木村、加蔵新田村、●大平村、相川村、●切久保村、●野平村(現・大町市)、●舟場村、●左右村、槍平村、●大塩村、切明新田村、●二重村、新行新田村、●大塚村、●高地村、●青具村、●千見村、●佐野村、●沢渡村、●飯田村、●飯森村、深沢空峠新田村、●細野村、●塩島村、塩島新田村、●蕨平村、●野平村(現・白馬村)、大出新田村、●嶺方新田村(現・白馬村)、●堀之内村、●千国村、●来馬村、●石坂村、●大網村、●深原村、●中谷村、土谷村、●中之郷村、●十日市場村、●林中村、●内鎌新田村、●池田町村、宮本入作、山之寺村、●堀之内村、●正科村、●中島村、●半在家村、●滝沢村、相道寺村、●花見村、●渋田見村、●鵜山村、●押野村、●塩川原村、●荻原村、荻原新田村、小泉入作新田村、●大日向村、●草尾村、●宇留賀村、●日岐村、●北山村、●峰方新田村(現・池田町)、●寺村、●中村、●小泉村、鼠穴村、●細野村、神戸新田村、●松川村、●西山村、板取村、●須沼村、●清水村、●上一本木村、下一本木村 |
- 明治4年
- 明治7年(1874年) - 峰方新田村(現・池田町)が白駒村に改称。
- 明治7年から明治8年(1875年)にかけて下記の町村の統合が行われる。カッコ内は統合時期。特記以外は明治8年2月18日。(18村)
郡発足以降の沿革
- 明治12年(1879年)1月4日 - 郡区町村編制法の長野県での施行により、安曇郡のうち18村の区域に行政区画としての北安曇郡が発足。郡役所を大町村に設置。
- 明治15年(1882年)3月20日 - 大町村が改称して大町となる。(1町17村)
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。[ ]は改めて再編された町村。(17村)
- 明治22年(1889年)4月10日 - 大町が町制施行。(1町16村)
- 明治24年(1891年)4月1日 - 郡制を施行。
- 大正4年(1915年)4月1日 - 池田町村が町制施行して池田町となる。(2町15村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和29年(1954年)7月1日 - 大町・平村・常盤村・社村が合併して大町市が発足し、郡より離脱。(1町12村)
- 昭和30年(1955年)4月1日 - 池田町・会染村が合併し、改めて池田町が発足。(1町11村)
- 昭和31年(1956年)9月30日(1町9村)
- 昭和32年(1957年)3月31日(1町7村)
- 池田町が東筑摩郡明科町の一部(中之郷・鵜山)を編入。
- 広津村が分割し、一部(北山・宇留賀・大日向の各一部)が池田町、一部(北山の一部)が八坂村、残部(北山・宇留賀・大日向の各一部)が東筑摩郡生坂村に編入。
- 陸郷村が分割し、一部(寺・白駒・日岐の各一部)が池田町、一部(中・小泉および寺の一部)が東筑摩郡明科町、残部(草尾および日岐・白駒の各一部)が東筑摩郡生坂村に編入。
- 昭和33年(1958年)4月1日 - 南小谷村・中土村・北小谷村が合併して小谷村が発足。(1町5村)
- 昭和34年(1959年)4月1日 - 八坂村の一部(左右)が上水内郡信州新町(現・長野市)に編入。
- 平成17年(2006年)1月1日 - 八坂村・美麻村が大町市に編入。(1町3村)
変遷表
行政
- 歴代郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 窪田畔夫 | 明治12年(1879年)1月4日 | ||
2 | 小坂善之助 | 明治19年(1886年)10月 | ||
3 | 肥田野畏三郎 | 明治21年(1888年)12月 | ||
4 | 平野侯次郎 | 明治23年(1890年)2月 | ||
5 | 伊谷脩 | 明治23年(1890年)10月 | ||
6 | 小島義知 | 明治25年(1892年)2月 | ||
7 | 青山勝謙 | 明治30年(1897年)3月 | ||
8 | 鮫島新助 | 明治32年(1899年)10月 | ||
9 | 樫田三郎 | 明治38年(1905年)9月 | ||
10 | 大浦頼 | 明治41年(1908年)12月 | ||
11 | 務台彦市 | 明治45年(1912年)6月 | ||
12 | 藤崎供義 | 大正3年(1914年)3月 | ||
13 | 藤根新太郎 | 大正5年(1916年)7月 | ||
14 | 鈴木登 | 大正8年(1919年)2月 | ||
15 | 大久保幸次郎 | 大正10年(1921年)3月 | ||
16 | 諏訪好正 | 大正11年(1922年)7月 | ||
17 | 小林喜三郎 | 大正13年(1924年)3月 | ||
18 | 牛山喜一 | 大正13年(1924年)12月 | 大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
脚注
- ^ 池田町と東筑摩郡明科町の間の細かい境界変更は反映していない。
参考文献
- 『長野県史 近代史料編 第2巻 郡政』
- 『角川日本地名大辞典』20 長野県、「角川日本地名大辞典」編纂委員会、角川書店、1990年7月1日。ISBN 4040012003。
- 旧高旧領取調帳データベース
- “現在の市町村名から調べる
”. 長野県 (2013年8月30日). 2016年1月7日閲覧。
- 「長野県公式」に記載されているが「旧高旧領」に記載されていない村は枝郷とみなし、本項では割愛した。
関連項目
先代: 安曇郡 |
行政区の変遷 1879年 - |
次代: (現存) |
データム: 13.12.2020 01:47:57 CET
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