三宅正治
みやけ まさはる 三宅 正治 | |
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プロフィール | |
愛称 |
まーくん 三宅ちゃん |
出身地 | 日本 広島県広島市 |
生年月日 | 1962年11月15日(58歳) |
血液型 | O型 |
最終学歴 | 早稲田大学商学部 |
勤務局 | フジテレビジョン |
職歴 | アナウンス室専任部長 |
活動期間 | 1985年 - |
ジャンル | 全般 |
配偶者 | あり |
出演番組・活動 | |
出演中 |
『めざましテレビ』(2012年4月 - ) 『ジャンクSPORTS』(不定期) |
出演経歴 |
スポーツ中継(中央競馬・プロ野球・格闘技) 『すぽると!』(平日) 『ジャンクSPORTS』 『プロ野球ニュース』 『クイズ!ヘキサゴン』(深夜時代)ほか |
三宅 正治(みやけ まさはる、1962年11月15日 - )はフジテレビの男性アナウンサー。同社アナウンス室専任部長。
目次
来歴・人物
広島県広島市出身。広島市立二葉中学校、広島市立基町高等学校、早稲田大学商学部卒業。1985年、フジテレビにアナウンサーとして入社。同期入社は軽部真一、長野智子、松田朋恵、永麻理、小田多恵子。船越雅史は大学の1年後輩にあたる。
フジテレビを志望した理由は「日本ダービーの実況がしたいから」であった。入社12年目にして達成し(1996年、優勝馬フサイチコンコルド)、以降2004年までは2002年を除いて毎年ダービーの実況を担当した。また、有馬記念の実況を2005年から2011年まで担当した[1]。
もう1つ、アナウンサーとしての希望は、大ファンである「プロ野球・広島東洋カープの日本一の瞬間を実況すること」。こちらは叶えられていない。
スポーツアナウンサーとしては競馬の他にもプロ野球、F1、格闘技、バレーボール、全日本女子プロレス中継など幅広く実況を担当した。
F1においては1990年ベルギーグランプリから実況に参加。それまで、モナコや日本といったフジテレビにとって重要と位置づけられたグランプリレースは古舘伊知郎が実況を務めていたが、1992年モナコグランプリにおいて、出演の都合がつかなかった古舘に代わり、アイルトン・セナとナイジェル・マンセルが死闘を繰り広げた、F1の歴史に残る名勝負と言われる決勝の実況を務めた。1994年サンマリノグランプリでは、ローランド・ラッツェンバーガーとセナが相次いで事故死した瞬間を実況することとなり、決勝レースの最後まで実況を務めたものの、日本への決勝レース中継は中断を余儀なくされ、現場のイモラ・サーキットからの生中継に切り替わり、解説の今宮純、ピットリポーターの川井一仁と3人でセナの事故死を伝えた。1994年日本グランプリを最後に降板した古舘に代わり、翌年(1995年)から5年間日本グランプリの実況を務めた。1999年日本グランプリを最後にF1の実況から降板した。
2004年アテネオリンピックにおいて、フジテレビを代表してジャパンコンソーシアムの一員としてテレビ中継の実況に参加、開会式(民放での録画放送)、柔道、女子バレーボールの実況を務めた。柔道に関しては、道谷眞平と共に実況を務め、三宅が実況を務めた男女7階級のうち6階級で日本代表選手が決勝へ進出、野村忠宏や阿武教子、塚田真希をはじめ、金メダル4個・銀メダル2個の獲得の瞬間を実況した。また、柔道女子52kg以下級準決勝において、横澤由貴が残り1秒で袖釣込腰の一本により劇的な逆転勝利・決勝進出を決めた瞬間を実況した。
2000年4月から『プロ野球ニュース』の総合司会を務め、2001年4月からの後継番組『すぽると!』でも引き続き総合司会を務めた。
『すぽると!』については、2006年10月から平井理央とのコンビ固定で月曜から金曜を担当していた。その後、2007年10月からは土曜を担当していた佐野瑞樹がニューヨーク支局へ勤務のため番組を降板、土曜を本田朋子と共に担当することになり、金曜の担当からは降りることになった。しかし、2008年4月から週末に渡辺和洋が復帰したため、半年で土曜の担当から金曜に復帰した。
2011年3月24日放送分を最後に、番組開始10周年を一つの節目として番組勇退を決定。『プロ野球ニュース』から加えて11年に渡るスポーツキャスターから引退し、中継・アナウンス部長活動に専念することとなった。
バラエティ番組に関しては、入社1年目(1985年)に放送を開始した『夕やけニャンニャン』金曜日にレギュラー出演、新人ながらも「アイドルを探せ!」等のコーナー司会を務めた経験があったが、2000年代に入るとバラエティ番組への出演も多くなり、『クイズ!ヘキサゴン』(深夜番組時代)の司会を務めたほか、『熱血!平成教育学院』、『ネプリーグ』にも出演した。後述の『めざましテレビ』担当以降は他のめざましファミリーと共に出演することも多くなっている。2009年には、アニメ『空中ブランコ』第4話で本人役として声のみの出演も行っている(エンディングでは「野球実況」とクレジット)。
スポーツ実況降板・情報番組総合司会就任へ
2012年4月2日から、病気療養のため番組を降板することになった大塚範一の後任として『めざましテレビ』の2代目総合司会として登板。三宅にとって、情報番組への登板は入社以来これが初めてとなる[2]。
2012年3月12日にフジテレビアナウンス室公式サイト(アナマガ)内のスポーツアナウンサー共同ブログにおいて、スポーツ実況の第一線から卒業し、『めざましテレビ』に専念すると発表した[3]。そのため、実況アナウンサーとしては2011年12月25日放送の『みんなのKEIBA』(第56回有馬記念)の実況が最後となり、2012年3月18日放送の『みんなのKEIBA』にてフジテレビ賞スプリングステークス優勝騎手(ミルコ・デムーロ)インタビューを担当したのがスポーツアナウンサーとしての公式での最後の活動となった。スポーツ実況降板に合わせ、長年務めてきたJRA賞の選考委員・民放記者競馬クラブの会員も辞任した。ただし、スポーツ中継から完全に身を引いたわけではなく、『ダイヤモンドグローブスペシャル』(現FUJI BOXING)などでMCという形で出演することはある。
これにより、共演が少なかった同期の軽部とはレギュラーで共演することとなった。
『めざましテレビ』登板後は、報道特別番組(国政選挙(衆議院議員総選挙・参議院議員通常選挙)実施に伴う選挙特別番組も含む)の司会を担うこともある。 2017年11月15日の『めざましテレビ』放送終了後、急性胆管炎と診断され入院していたが、同年12月1日に退院し、同年12月11日に復帰した。
趣味
アニメやドラマ鑑賞が趣味で、アニメは週に20~30本、ドラマは週に15本程度見ている[4]。ライブ鑑賞も好きでありアニソンシンガーを中心に年間40本参戦している[5]。
競馬GI実況歴
1988年、25歳のときに安田記念でGI初実況を果たし、翌1989年にクラシック競走の1つである優駿牝馬(オークス)を実況。以降2011年まで、2002年を除き毎年GIの実況をこなし、上述の通り1996年には入社志望理由の一つだった東京優駿(日本ダービー)の実況を果たし、
「コンコルドだ!コンコルドだ、外から音速の末脚が炸裂する!フサイチコンコルド!」(1996年日本ダービー)
「河内(洋)の夢も飛んできている!エアシャカールかエアシャカールか、それともアグネス(フライト)か、アグネスか、河内の夢か、(武)豊の意地か、どっちだぁ!」(2000年日本ダービー)
などの名実況を残した。
以下はGI実況歴の詳細だが、ダートGI(フェブラリーステークス及び2000年から2007年までのジャパンカップダート(現・チャンピオンズカップ))については実況経験がない。
- 皐月賞 1994年 - 1997年・1999年
- NHKマイルカップ 1996年・1999年
- 優駿牝馬(オークス) 1989年 - 1995年
- 東京優駿(日本ダービー) 1996年 - 2001年・2003年・2004年
- 安田記念 1988年・1991年・1993年・1998年
- スプリンターズステークス 1991年・1993年 - 1996年
- 天皇賞(秋) 1991年 - 1994年・1996年・1997年
- ジャパンカップ 1998年 - 2001年・2004年・2005年
- 朝日杯3歳ステークス 1990年・1992年・1994年・1997年
- 有馬記念 2005年 - 2011年
出演
現在の出演番組
- めざましテレビ(2012年4月 - ) 総合司会
過去の出演番組
- 夕やけニャンニャン(金曜日)
- オレたちひょうきん族(ニュースキャスター役で出演)
- FNNスーパータイム(スポーツコーナー:週末)
- FNN おはよう!サンライズ(スポーツコーナー)
- プロ野球ニュース(2000年4月 - 2001年3月)
- 酔いどれない競馬(CSフジテレビ739)
- クイズ!ヘキサゴン(深夜時代の司会および島田紳助の代理司会)
- スーパー競馬→みんなのケイバ→みんなのKEIBA(末期は有馬記念のみ)
- アナ☆ログ(2008年2月3日放送「アナウンサーが出されたくないクイズ」の回に出演)
- 新春かくし芸大会(ナレーション・2007年から2009年まで)
- ジャンクSPORTS
- すぽると!(月曜日 - 金曜日・総合司会)
- 森田一義アワー 笑っていいとも!(金曜日、「クイズ!お久しぶりゲストマラソン」実況)
- F1グランプリ
- BASEBALL SPECIAL〜野球道〜
- 産経テレニュースFNN
- 鍵のかかった部屋(2012年6月4日)
- VS嵐(2012年7月26日、クリフクライムでは中村光宏の代役・2013年8月8日)
- FNS27時間テレビ(1995年 - 1998年、2005年 - 2007年、2009年 - ) 2001年は番組に内包されたオールスターゲームの実況/2009年と2010年には三輪車レースの実況を担当
- FNN総選挙2012 ニッポンの決意 JAPAN'S DECISION(総合司会・2012年12月16日)
- FNN参院選 真夏の決断2013(総合司会・2013年7月21日)
- AKB48じゃんけん大会~今夜新センター決定SP~(2013年9月18日、実況)
- ジャンクSPORTS
テレビドラマ
- 医龍 -Team Medical Dragon- 4(2014年2月20日) - 山岡教授 役
映画
劇場アニメ
- ONE PIECE FILM GOLD(2016年7月23日公開) - レース実況 役
著書
- 『言葉に魂(おもい)をこめて』(2009年8月、ワニブックス刊)
- この本はスポーツアナ仲間で同郷(広島県出身)の川﨑聡が勤める系列のテレビ西日本において、アナウンサーたちの勉強会でテキストとして用いられた。やはりスポーツアナ仲間であり、現在はテレビ西日本アナウンス部長を務める田久保尚英のブログ
を参照。
その他
- レポーターとして同行していたが、レーシングスーツ着用状態でヘルメットを渡され、特設の助手席に着席し、座った感想と室内のレポートを行い、後にタレント2人に同乗体験をさせるはずであった。しかし、実際には三宅に同乗をさせるというドッキリ企画であったため無言でドアは閉められた。
- 当時の鈴鹿サーキットはピットレーンの制限速度もなかったことから、片山は猛然とアクセル全開。三宅は車内ではまともに実況も行えずに絶叫し、バックストレッチでは326km/hに到達。周回を終えて戻ってきた際には放心状態であった。
脚注
- ^ フジテレビは有馬記念を競馬中継の中で最高のレースに位置付けており、それに相応しいアナウンサーが実況するという観点から部長級の管理職のアナウンサーが代々実況を務めている。また有馬記念を実況するアナウンサーはその他のGIレースは実況しないという慣例があり三宅も初めて担当した2005年こそジャパンカップの実況を担当したが、翌2006年からは慣例にならいその他のGIレースの実況からは退いている(GII・GIIIレースは年に数回担当したことはあった)。
- ^ 闘病中の大塚キャスター「めざまし」卒業
日刊スポーツ 2012年2月28日閲覧
- ^ 「皆様へ」
」我ら、CXスポーツアナウンサー 2012年3月12日付参照
- ^ “男性アナウンサープロフィール
”. fujitv. 2020年3月7日閲覧。
- ^ “男性アナウンサープロフィール
”. fujitv. 2020年3月7日閲覧。
- ^ “映画館にモノノフが集結 ももいろクローバーZ主演『幕が上がる』完成披露試写会
”. 電通報 (2015年2月4日). 2015年9月24日閲覧。
- ^ フジ三宅アナの長男は吉本マネージャー雨上がり・宮迫「今、僕らの…」
サンケイスポーツ 2018年6月24日閲覧
関連項目
- フジテレビのアナウンサー一覧
- 広島県出身の人物一覧
- 鹿内春雄(三宅入社時のフジテレビ会長)
外部リンク
- フジテレビによる公式プロフィール
- 三宅正治
(@markun48desuga) - Twitter ※2012年5月17日に「Twitterをお休みさせていただきます」というツイートを最後に更新されていない。ただしアカウントは残されている。
カテゴリ: フジテレビのアナウンサー | スポーツアナウンサー | すぽると! | 競馬アナウンサー | プロレス実況者 | 全日本女子プロレスの関係者 | プロボクシング実況者 | めざましシリーズ関係者 | 早稲田大学出身の人物 | 日本の司会者 | 広島市出身の人物 | 1962年生 | 存命人物
データム: 13.12.2020 12:50:18 CET
出典: Wikipedia (著作者 [歴史表示]) ライセンスの: CC-by-sa-3.0
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